未定はいけないものを

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空想的な男女像と現実的な男女叩き

 あなたは、空想と現実の区別が付いているだろうか?

 ゲームや漫画に慣れない大人は言う。ゲームや漫画の影響で人は凶暴になると。ゲームや漫画のキャラクターがキャラクターを殴り蹴るように、人が人を殴り蹴ると。

 それはありえなくはない。人は何にも影響されるから。だが、それはゲームや漫画に限らず、そして人は人に現実の倫理を教えることが出来る。

 だからそんなことを無理解な大人に言われて、言い返したくなった、または言い返した人も少なくないだろう。

 空想と現実の区別なんか普通ついている。現実に無いからこそ、空想が楽しいのだ。

 だから、現実に空想のようなものを求めても往々にして手に入らないことが普通である。じゃあその時に、願いがかなわなかったのは誰のせいなのか。

 その責任を現実の他方に押し付けるようなら、空想と現実の区別が付いているか疑わしい。

 

 

 多くの創作においては気味の悪い都合の良さというものがどうしてもつきまとってくる。そういうものがスパイスとして、創作に彩りを添えてくれるのだ。それは、異性像ということにおいても例外ではない。

 別に僕はこういうものをどうこうしようとは思っていない。中には気持ち悪すぎると個人的に思う事柄はあるが、そんなことで何かに干渉しようとは思わない。

 だが、空想の中の魅力的な異性像にあてられて現実の異性に失望したところで、ただ不毛なばかりであると言いたいのだ。

 具体的に言うなら、「3次元の女はこうこうだけど、2次元の○○ちゃんならこうしてくれる」といったものである。そりゃそうだ。

 そもそも比較対象の両者は女であるという共通点しか無い。創作の世界で生まれ育った都合のいい人間が都合のいい行動をするのは当たり前である。それを私欲のある不安定な現実の人間に押し付けて何になるというのだろう。

 先程述べたように、空想は、現実では叶わない世界という側面もある。叶わないことを夢見て、叶わないことが叶わないなんて酷いと言っているのだ。

 これは空想と現実の区別がついていないと言わざるをえないのではないか?

 

 勿論、空想と現実のギャップに愕然とすることはあるだろう。だがそういう時には、空想とは叶わぬ世界という基本を思い出して欲しい。